枯葉よ~小林よ~(笑)
今朝、毎日の犬散歩で行く公園で枯葉がパラパラと落ちてきた。
家内と歩きながら日本語の歌詞を知らないので♫枯葉よ~枯葉よ~枯葉よ~とずっと繰り返し歌うのでした(笑)
昔こんな枯葉を録音したのを思い出した。
今は燃えカスとなってしまったがこの時代はアレンジに燃えておりました••••と日記には書いておこう。
写真はまだ花子が元気で二匹で公園に通ってた時のもの。
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今朝、毎日の犬散歩で行く公園で枯葉がパラパラと落ちてきた。
家内と歩きながら日本語の歌詞を知らないので♫枯葉よ~枯葉よ~枯葉よ~とずっと繰り返し歌うのでした(笑)
昔こんな枯葉を録音したのを思い出した。
今は燃えカスとなってしまったがこの時代はアレンジに燃えておりました••••と日記には書いておこう。
写真はまだ花子が元気で二匹で公園に通ってた時のもの。
昨年の11月25日に14歳で花子は天国に。
何故か悲しい気持ちになると曲が書きたくなるのだが花子の曲はなかなか書けず一年が経った。
最後の半年はワゴンに乗せて動物病院に通った思い出なんかがあって自分のショックが大きかったのかもしれない。
↓写真はワゴンに乗って獣医の診察を待ってるところ。
一年目の命日が近づいてきたある日に花子を思って曲を作ったら偶然にも命日の11月25日に宮野裕司さんがアルトサックスを持って遊びに来てくれた。
早速宮野さんにお願いして♫「Hanako」を吹いてもらったのでした。
いい供養になった・・・・・と日記には書いておこう。
というのも大きな理由の一つで2003年にストリングス中心のザ・室内バンドを作った。
曲は「ニュー・シネマ・パラダイス 愛のテーマ」で作曲者であるエンニオ・モリコーネさんが昨日91歳で亡くなったそうだ。
今は活動休止中の室内バンドのライブを聴きながらモリコーネさんを偲びます……と日記には書いておこう。
ワタクシはプロのミュージシャンとしてより講師の仕事のほうが先だったので自分で教えやすい理論の資料を何度も作っては修正を重ねてきました。
自分で裏付けのある音を作り出す一つの道標として理論を学ぶことは避けて通れません。
教え始めて40年以上経った今、ここに残しておく事にしました。・・・・という見出しでホームページの中に「こだわり音楽ブック」と題して新コーナーを作った。
この作業に集中出来たのも長期コロナ休みがあったおかげなのであります。(涙)
↓ 写真は今まで生徒に渡してきた手書きの資料集。
更にボーカルも含めたトレーニング集のページも作ったのであります。
ページ・タイトルは「親愛なる生徒のために」(笑)
ジャズは自分で作らなければならない部分が多い音楽なので音楽レシピが必要不可欠。
ジャズを学びたい人の少しでも役に立てれば幸い・・・・と日記には書いておこう。
昔、渋谷の全線座でエディット・ピアフの白黒伝記映画を観たと思っていたらこの映画「エディット・ピアフ/愛の賛歌」は2007年の作品でカラー。
そして全線座は1977年に閉館廃業していた。つまり白黒でもなければ観た映画館も思い違いだった。
実は数日前にジュディ・ガーランドの伝記映画「ジュディ/虹の彼方に」を観てピアフの映画と重なる感じがしたのだ。
エディット・ピアフ1963年10/10享年47歳、ジュディ・ガーランド1969年6/22享年47歳。
二人の偉大な歌手が偶然にも47年という短い生涯だったことに驚いた・・・・と日記には書いておこう。
そして顔面から転倒、そして救急車で病院へ搬送。
すべて生まれて初めての体験だった。
2020年2月21日の夜、家族でファミレスにて遅い夕食。
食事をしながらワイン500ml弱を飲んで帰宅、ゴミ出しとかテレビを見ながらアイスを
食べたりしてパジャマに着替えて寝ようと寝室に向かう廊下で気を失った。
家族の話ではドスンという凄い音がして様子を見に来ると私が打つ無背に倒れていて
廊下は血の海になっていたそうだ。幸い眼鏡で目を傷めることなく壊れただけで済んだ。
どうやら自力でベッドまで歩いたらしいが気が付くと救急隊の人が何か問いかけてる。
その後、救急隊の人に支えられて救急車の担架に。
写真は救急車の中でオレンジ色の毛布に包まれた私です。
検査の結果、おでこと鼻と目の下の3か所の骨折はあるものの
脳は大丈夫だった。正に不幸中の幸い!
いや~歳と共にいろんな事が起きるもんだ・・・・・・と日記には書いておこう。
先日とあるコンサートの終了後、迎えの車を待っていると中年の女性客が近寄ってきて「質問して良いですか」と訊かれた。
「ジャズピアノを弾く方は右のペダルを踏む時、かかとを床につけないで足を浮かせて踏むのですか?」
実はこのことで数年前から右足の股関節が痛く悩んでいるところだった。
私は生まれて間もなく右足が小児麻痺にかかり手術を受けた。その後遺症で右足親指が不自由でかかとを床につけて踏むことは出来ないのである。
長年その状態でピアノを弾いてきたことで股関節が悲鳴を上げたのかもしれない・・・・・という話をお客さんには説明は出来ないので「単なる足癖です」とお茶を濁しておいた。
そんな訳で最近はピアノの椅子を目いっぱい高くして右足をぶらぶらさせて足の負担を軽くしてペダルを踏むようにしている。
この事によって鍵盤の位置が下になるのでタッチの上では困ったことであります。(エロル ガーナーじゃあるまいし)
しかし足元まで見られているとはビックリ・・・・・と日記には書いておこう。
考えてみると40年以上前からプロの歌手はともかく歌の生徒の伴奏を多くしてきた。
最初は曲も知らず、転調も出来ず、生徒を待たせて大急ぎでコードを移調して伴奏する日々だった。
生徒の覚えてくるメロディーは楽譜を見ずにレコードを聴いて覚えてくることが多い。
しかし完璧なコピーではなくアバウトに覚えて来るので伴奏と合わなくなる。(こういう状態を勘違い平行棒と呼んでおります)
やはり原曲の譜割りや音程を分かっていなければその先はないと説いてきた。
アマチュアの人は楽しめれば良いという事でそこまで掘り下げて歌いたくもないのかもしれない。
まあ、どうあれ私はスタンダード大好き人間なので生徒の伴奏をしてるその一瞬一瞬もホントの美しいメロディーを心で歌いながら伴奏してるのであります。
歌も演奏も出した音は戻ってこない。だからいつどこでも悔いなく音を出したいもんだ。
新カテゴリー「音楽の話」を追加。ブログに音楽の事を書くことはほとんどなかったのですが最近ちょっと書き残したい気持ちが湧いてきました。(いつまで続くかわかりませんが)
さて、本題に入りますが、クラシックが作曲家主体の音楽であるならばジャズは演奏家主体の音楽なのでスタンダード曲を取り上げる際にもミュージシャンの自由な解釈によって作りかえて演奏される。
しかし取り上げられる古くは1930年代から現代に至るスタンダード曲も元はミュージカルや映画等の主題歌や挿入歌がほとんどでその作詞家、作曲家が存在するわけだ。
自由な解釈というと時には主に原曲のコード進行を付け直すこともある。
だが作曲者が作った原曲の構造や雰囲気も知らずに変えるというのはどうも気が引けるのだ。
あるミュージシャンの演奏でヒットした曲があるとそれをオリジナルと捉えてそこから又新たな解釈で演奏するなんてことも多いと思う。
最近はこのあるミュージシャンの演奏したスタイルをコピーした曲集が重宝されて皆それをベースにセッションしたりする光景を目にする。
ジャズはアドリブが重要なため原曲のもつ和音進行よりもアドリブしやすいものにすることが多々ある。
ときにはアドリブ主体のコードに変更したためいつの間にかメロディーまでも変わって認識されてる曲もある。
クラシックの作曲を学ぶ場合、多くの名曲のアナライズをするがジャズで取り上げる曲の多くも3段譜と言われる最上段がメロディーと歌詞、2段と3段がピアノの高音部と低音部で書かれた楽譜から学ぶことは多い。(アメリカ版シート譜のほとんどは3段譜)
ジャズというとメロディーとコードだけでやるもんだと思ってる人が多いが音楽ってそんな浅いもんじゃない。クラシックの歌曲集などでもメロディーと伴奏形を見てみると綿密に計算されて書かれているのが分かる。
逆に言うとクラシックのピアノ曲、歌曲などの譜面を分析してコードを付けてみると学ぶ事や応用できる事も多いのであります。(時にはアドリブ・フレーズのヒントも)
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