女の子二人組
2005年の暮れ、シャイニー(ストッキングス)のメンバーの一人が息子と同世代の女の子二人組を連れて私のオフィスにやって来た。
一人はピアノ、もう一人はチェロを弾きながらコーラスするという珍しいユニットで、面倒見てくれる事務所を探してるとの事だった。
とにかくどんな演奏をするのか聴いてみないことには話が始まらないので聴かせてもらった。
彼女達の演奏は良く言えば可愛く元気が良いのだが作曲、アレンジ、歌い方等、音楽的な部全部とは言わないまでも気になる部分が多々あった。
すでに彼女達には千人近くのファンも付いているとのこと、このまま可愛いさ元気さを売りにして自分たち流にやっていけば良いのでは・・・・というのが私の感想であった。
つまりこれを一から面倒見るとなると私も相当な労力を費やさなければならないし私が手を入れる事によって「昔の方がのびのびしていて良かった」などという声も出てくると思うとなかなかやる気が起きなかった。
ところが一緒に聴いていた村上(京子)は長年に渡って多くのボーカリストを育てて来た経験から彼女たちの面倒見る価値はあるという判断をくだしたのである。
私はスタンダード・ナンバーのコーラス・アレンジを30年近く手がけてきたのだが、ここ数年は英語を分かってない自分が英語の歌を扱うという無責任さに嫌気がさして書いてなかった。しかし、最近はコーラスアレンジに対するポリシーをストリングス・アレンジに置き換えて発表する機会を年に数回作っている。
そこに日本語のオリジナルをコーラスする二人組がやって来たわけだから、日本人である私としては自信を持ってアレンジに取り組むことが出来た。
しかし彼女たちなりに出来上がっている音楽を私の音楽的価値観で変えていくことが果たして良いことなのかどうかと迷う日々が続いた。
ただ一つの救いは彼女たち自身が私のいわゆる手直しを喜んで受け入れてくれたことである。後から耳にした話だが、昔から彼女たちの演奏を聴いているファンの意見には案の定「昔の方が良かった」というものもチラホラあったようだ。それも致し方のないことである。
このように今まで感じたことのない複雑な気持ちでの作業であったが約一年半かけて自主制作盤一枚、メイジャーデビュー盤一枚のCDを送り出すに至った。
私は音楽を組み立てて行く過程で「一音一音、何故この音を選んだか」という理由を常に自問自答繰り返して書いているという非常に理屈っぽい人間である。しかし、これは音へのこだわりなのである。
もしこの作業中に音楽的価値観の違う他人から意見されたりすると音選びの勘が狂ってしまう。
それ故、複数の人の意見を取り入れながら作っていくのが苦手である。
音楽の世界にも物を生産するようにプロジェクトでスターを育て、売れなければ使い捨てて次なるスターを育てていくビジネスがある。
プロジェクトでの目標はやはり売れるという事で、私が大切にしたい音楽の本質よりもむしろファッション的な考えを持たなければならない。
よく飛び交う言葉は日本人の好きなジャンル分け、すなわちポップス、J-ポップ、フォーク、ロック、ヒップホップ、歌謡曲、流行歌、等々。
更にここに~風が付いてJ-ポップ風とかロック風という話になってくるわけだ。
このようにして音楽を創っていくことがプロフェッショナルだというのなら私の音楽の創り方は極めてアマチュアと言えるかもしれない・・・・と日記には書いておこう。
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