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2008年5月31日 (土)

とあるコンサートにて

先日、アレンジャー&ピアニストM氏のコンサートの業界向け宣伝メールが届いた。

M氏は私の尊敬する方であり企画も興味深いものだったので早速ネットでチケットを購入して聴きに行った。

オケの編成はストリングスが恐らく15人程で木管、金管、打楽器が合わせて8人程だったろうか。驚いたのは全員若い女性奏者なのだ。ステージが始まる前に様々な色のドレスを着た若い女性奏者が出てきただけで場内からどよめきが起こった。

そういえば中国女子十二楽坊のヒット以来、クラシックの世界も若くてかわいい女性奏者にきれいな衣装を着せて売る?のが流行りだして数年たった。

今回の企画も遅ればせながらこの路線というのは隠せない感じだった。感想といたしましては見たところ聴いたところ音大生も混じってるんじゃないの?・・・・・でした。

近年は金管楽器も女性奏者が多くなってきているようでありますが、今回の場合真っ赤なドレスを着たトランペッターが頑張ってましたが・・・・・ウ~ん、これ以上は言えません。というのも一部はルロイ・アンダーソン生誕100年を記念して彼の作品の数々を演奏したので有名なトランペットが活躍する曲も当然演奏したわけです。

ちなみに私はこの作曲家がとても好きでありましてポップス・オーケストラの原点であり和音進行、バックグラウンド、全てジャズに通ずるものがあり、まさにアメリカンサウンドであります。

また近年は打楽器すなわちパーカッション流行りでジャズ、Jポップとあらゆるジャンルでバンドにパーカッションを入れることが多いようでありますがルロイ・アンダーソンの曲にはこのパーカッションを実に見事に使った曲が多いのです。

私はパーカッションの使い方の定義をアンダーソンのようにスコアー上でオーケストラ的な一部として計算して使う(クラシック的発想)というのが理想と考える。

土台から積み重ねて計算して作られた楽曲に打楽器奏者からだけの解釈で後付け、上物的扱いで打楽器を重ねる事はともすると音楽のバランスを崩す可能性が無きにしも非ずであるからである。

また過去のクラシックの作曲家達は現代ならデジタルで合成して作り出す音色というものを本当の楽器の重ね方によって表現してきたのだ。そしてそれらを楽譜というものに残してくれたお陰で今に至っているわけだ。

先日もテレビでオリジナルを作って歌うJポップのシンガーの話が紹介されていたが譜面などは書かず、とにかくPCに入力したデータを切ったり貼ったりして作っていた。

一見、音を振り返りながら組立てていくので良い方法かとも思いきや、以外と歌いやすい方向、弾きやすい方向だけへ知らず知らず傾いている場合がある。これをその人の個性と言えば個性と言えるのかもしれないが作る以上は自分に対するハードルを少しは高く持ちたいものだ。

譜面といものは何百年も前から音楽の内容を伝達する画期的なものとしてだけでなく音楽を論理的に考える最高の道具だと思う。

話は少しそれるが、とかく日本は世の中で多く流れているサウンドの方が良い?多くテレビに出てる人が良い?みんながしてる同じ格好の方が良い?明らかにくだらないものであっても露出が多ければ有名だとか流行ってるだとかいって、まかり通る国でありますから、今更「本当に良い物とは?」なんて云ったってしょうがないが、デュークエリントンの名言「この世の中には、いい音楽と悪い音楽しかない。」・・・・こうでなくちゃ、と日記には書いておこう。

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