« 嬉しい夜 | トップページ | 大バッシングを受ける。 »

2010年2月 3日 (水)

「音への思い」

先日の光井さんの話ではないが、ミュージシャンの手足が不自由になったり、唇のコントロールが出来なくなったりしても、そのようになった人が出した音を通じて本人が何を伝えたいかという強い思いが伝わってくる瞬間がある。「音への思い」っていうものである。しかし、それは本人が陶酔したり熱くなれば良いなんてもんじゃない。

もう亡くなってしまったがオスカー・ピーターソンの演奏は表面的には凄いピアノテクニックで音数が多かったが彼の音楽の根底にあるものは極めてシンプルかつ明快な歌心だった。彼はそれらをピアニスティックに飾って演奏していたのだと思うし、それが彼の語法でありスタイルになっていたのだ。音楽も人の会話と同じで伝えたい意味は同じであっても言い方が色々あるのと同じ事である。

そのピーターソンも後年脳梗塞に倒れ、左手が使えなくなってしまった。その後、来日した時、右手だけでの演奏を聴いたが現実に出ている音の数は昔の半分以下に減ってしまったが少なくとも私の耳には変わらぬピーターソンの歌心が伝わってきた。

また日本のクラシックの男性ピアニスト舘野泉(たての・いずみ)さんも脳出血で右手が使えなくなったが左手だけでコンサートや録音をこなしているのである。もちろん左手だけで演奏できるように作曲、編曲された作品だが五本の指で演奏してるとは思えない美しい演奏である。彼もインタビューで語っているがたとえピアノを片手だけで弾いても音楽は演奏出来るということだ。

ワタクシ、常々良い音楽とは演奏する者の「音への思い」が強く伝わってくる音楽だと思っているのですが、自分を振り返ってみるとまだまだ修行が足りないなぁ~と思う今日この頃である・・・と日記には書いておこう。

« 嬉しい夜 | トップページ | 大バッシングを受ける。 »

★・・・と日記には書いておこう」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 嬉しい夜 | トップページ | 大バッシングを受ける。 »