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2011年3月

2011年3月31日 (木)

本日は晴天なり

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東北地方では震災で大変な日々を送ってる人が大勢いるというのに東京は穏やかな朝だ。朝散歩に出かけると毎日歩いている道ばたにタンポポが咲いた。天気が良いこともあって、その黄色がまぶしい。110331_104203_2

早速サブピーが臭いを嗅ぐ。

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花子とサブピーは何やら白い花が咲いてるの見つけて臭いチェック

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お日様が「まぶしいよ~」と言っております。ワン!

2011年3月30日 (水)

千代子の食事タイム

http://youtu.be/D0MwaKRT09M

猫は餌を食べたあとには、顔をあらいます。

2011年3月27日 (日)

粛々と

ビートたけしが「こういう時に『芸人は被災地に笑いを届けることしかできない』なんて意見があるがそれは戯言でしかないんだよね。メシがちゃんと食えて、ゆっくり眠れる場所があって、初めて人間は心から笑えるんじゃないかな」

更に、こういう時には、芸人は何にもできず、粛々とするしかないと指摘。震災が何とか落ち着いて立ち上がっていこうという時になって初めて、芸人が役に立つとした。という記事が印象的だった。

まさにミュージシャンも同じであり同感であります。違うのはこの後、たけしさんは所ジョージと共に1000万円の寄付をしたそうであります。

つまりミュージシャンは震災に遭った全ての人達に祈りを込めて演奏することぐらいしか出来ません。粛々と音楽活動を続けるのみであります。

今このような思いのミュージシャンは私だけではないと思うが、先日懇意にしているプロデューサーから東北関東大震災の犠牲者を悼み、被災者を激励するサイトをFacebookに立ち上げたとのメールが来た。

ここに参加したからといって被災した人達がネットを見られる環境にあるはずは無いと思うが、もしかしたら大勢の祈りのようなものが伝われば嬉しいという自己満足的ではあるが室内バンドの「最後の水墨画」をアップした。

http://www.facebook.com/pages/HEART-IS-IN-THE-RIGHT-PLACE-Music-Prayer-for-Japan/142080202526284

これをきっかけに、CDを出すわけでも無し、ライブも多くは出来ない「ザ・室内バンド」のアンサンブルをYouTubeに少しづつアップしていこう気持ちが沸いてきた。http://www.youtube.com/results?search_query=pakurin430&aq=f

世の中には我々の音楽を聴いて喜んでくれる人がいるかもしれないし・・・・と日記には書いておこう。

2011年3月18日 (金)

忘れられぬリハーサル

2011年3月11日(金)午後3時から二日後(3/13)に行う「1001弾き倒しライブ」のリハーサルをするためメンバーはオフィスに集まる事になっていた。

例によってアレンジが間に合ってなかったのでメンバーには当初午後1時からの予定を3時に変更してもらっていた。3時15分前くらいにセッティングをしようと地下スタジオに降りた途端にグラグラ揺れだした。サックスの宮野さんも到着していて1階にいたのだが強い揺れが収まらないので二人で外に出た。

地面が気持ち悪く大きく揺れ、宮野さんは「こんな大きい地震は初めて」といっていた。私は東京オリンピックの年に新潟で遭った新潟大地震の恐怖が蘇った。

やがてメンバーも到着して余震が続く中、出来てる曲を練習して早めに終えた。実はリハを始める前に今までも何度か脱走したことのある我が家の犬「サブピー」が逃げたのだった。

一応交番に届けておいたので期待はしてなかったが夜交番に尋ねてみると親切な人が保護してくれていると交番に連絡が入っていたのだ。

ライブ当日はやはり状況が状況だけに参加予定のお客さんが10名ほど来れなかった。

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脱走はまだ続く。5日後のボーカルレッスン日に生徒が帰る際ドアを開けた途端に脱走したとのこと。

再び交番に行くと「また逃げたの?」と呆れられる。今度はガソリンスタンドの人が保護してくれて新宿警察署に預けられていた。

向かえに行くと警察署地下の薄暗い廊下の隅で今までに入った事のないゲージの中に入れられ少し震えていた。

その姿を見た時、乳児ヘルニアで入院中のまだハイハイしか出来ない息子(桂)を病院まで向かえにいった日の事を思い出した。

彼はベッドの柵につかまって立っていたのだ。・・・・・と日記には書いておこう。

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