6月16日といえば・・・
昭和39年の6月16日、私は小学校2階の教室で昼食を食べ終えるところだった。
生まれてから一度も体験したことのないグラグラ、ミシミシという木造校舎の揺れ。私は必死で階段を駆け下りたが一応揺れがおさまったので2階の教室に戻るともう誰もいなかった。
窓の外を見ると晴れ渡った空の向こうに白い煙が一本上空に向かってのびていた。戦争体験もないのに私はすぐさまロシアか中国に爆弾を落とされたんだと思った。
すると担任の先生が駆け込んで来て「なにやってんの!早く校庭に集合しなさい!」と怒鳴られた。このとき自分が両手に何か握りしめていることに気づいた。
手の中にあったのは左手にチーズの残り、右手にパンの食べかけだった。
小学校は高台にあり、被害はなかったが家への帰り道は地下水があふれ出して、かろうじて道の真ん中しか歩けなかった。家にたどり着いてビックリ、床下まで地下水が流れ込み、今回の地震でもよく耳にする液状化現象で家が傾いていた。
この後、余震が夜通し続き、家の中ではとても怖くて眠れず、近所の人達と共に道の真ん中にござを敷いてトランジスタ・ラジオの中継を聞きながら過ごした。
昼間、爆弾が落ちたと思った白い煙は昭和石油のタンクが炎上したものだった。夜になると赤い炎となり、今にもこっちに燃え移ってくるような恐怖を感じた。いくつかのタンクに類焼して12日間燃え続けたのだ。
毎年6月16日が来る度、あの日のことが鮮明に蘇るのだ・・・・と日記には書いておこう。
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