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2012年5月

2012年5月20日 (日)

なんちゃってエンジニア

私の父は自作でステレオアンプやスピーカーボックス等、何でも作る趣味の人だった。そんな姿をいつも脇で見て育った私も自然と半田ごてを持って真空管式のラジオやアンプのような物を作っておりました。

子供の頃、東京の秋葉原に行けば電気の部品は何でもそろう所として行ってみたい町だったが18歳で上京した時にはもう電気の趣味はなくなっていた。

その秋葉原へ久しぶりにパソコンの部品を探すため出かけた。メード姿の女の子の誘いを振り切ってラジオデパートへまっしぐら。

3日前くらいから10年使ってるパソコンを立ち上げると「中のファンが壊れてる」というような警告が出ていた。メーカーに問い合わせてみたが当然部品は作ってないとのことで買い替えを勧められた。

この際、駄目もとで昔とった杵柄じゃないけど自分で修理してみようという事になった次第。

写真右が10年回ってくれたCPUファンで左が今回600円で購入したもの。しかし私のパソコンにはコネクターが合わないため3本のリードを繋ぎ換えなければならなかった。

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ピッタリ、ケースに収まりコネクターの付け替えもバッチリ。(ちなみに写真のバックは取替えたての犬のおしっこシート)

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無事パソコン本体に収まりました。10年も使ってると愛着がわいてなかなか捨てられない心境。 

このパソコン、Windows も2回か3回くらい入れ直しをしたし今では懐かしいフロッピーディスクドライブも自力で取り替えたので本体内部を開けることに抵抗はない。ファンの手前の板がたくさん並んでる下に人間でいう脳があるらしい。

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「頭を冷やす」という言葉があるようにパソコンも頭を冷やしておかないとパンクするのだ。

今日は久しぶりにエンジニアであった・・・・と日記には書いておこう。

2012年5月16日 (水)

花より便所

昨日「西武ドーム」デビューいたしました。

といっても野球じゃなく「国際バラとガーデニングショウ」に行ったわけですが、これまた野球と同じくらい私とは縁遠いもの。(つまり家内のお供ということ)

平日にもかかわらず中高年の女性が圧倒的に多い会場でバラというぐらいだから家内とバラバラにならないように手はつながないまでも、ぴったり後ろからついて行くワタクシでありました。

会場はバラの香りと中高年のおばちゃんの匂いがブレンドされクラクラしました。

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そんな中、朝トイレに行かず家を出たものですから途中で催してきてしまい、ドームから外れたトイレに駆け込みました。すると、どうでしょうトイレは清潔であてにしてなかったトイレットペーパーも5~6個積み上げてあり、更に便座に座るとヒータが入ってるではありませんか。こいう場所のトイレって結構汚かったりするので、嬉しくなった。(さすが西武)

バラに感動するより西武ドームのトイレに感動。トイレといえば高校2年生だったと思うが新潟から東京の普門館に全日本吹奏楽コンクールを見に来たとき、トイレに入ると見たことのない便座があり、使い方の説明図を見ながら用をたした。

何と、これが洋式便所デビューでありワタクシたぶん17歳。まさに時代と地域差。ちなみに家内は生まれた時から洋式だったそうだ。

オラはやっぱり田舎もんじゃ・・・と日記には書いておこう。

2012年5月13日 (日)

母の日に

私の母は関東大震災(大正12年)の数日前に生まれ、震災で父親と生き別れなり、その後母が物心ついた時に新しいお父さんが来てかなり困惑したらしい。したがって私の知ってる母方のお爺さんと私は血が繋がっていない。

今更だが、その生き別れた私のお爺さんにあたる人はどんな人だったのか知りたい今日この頃であります。

最近、内縁の夫が血の繋がりのない妻の子供を虐待とか殺害などというニュースをよく耳にする。そんな話を聞くたび、心が痛むのだがメルマガ「100人の1歩」より救われる話題を見つけたので日記に書いておこう。

以下、「残っていた留守番メッセージ」全文

私が結婚を母に報告した時、ありったけの祝福の言葉を言い終わった母は、私の手を握りまっすぐ目をみつめてこう言った。「私にとって、濡は本当の娘だからね」ドキリとした。

母と私の血がつながっていないことは、父が再婚してからの18年間、互いに触れていなかった。再婚当時幼かった私にとって「母」の記憶は「今の母」だけで、『義理』という意識は私にはなかった。けれど、やはり戸籍上私は「養子」で、母にとって私は父と前妻の子なので、母が私のことをどう考えているのか、わからなかった。

気になってはいてもそのことを口に出した途端、互いがそれを意識してちぐはぐな関係になってしまいそうで、聞き出す勇気は私にはなかった。

だから、母の突然でまっすぐな言葉に私は驚き、すぐに何かをいう事ができなかったのだ。母は私の返事を待たずに「今日の晩御飯、張り切らなくちゃだめね」と言い台所に向かった。

私はその後姿を見て、自分がタイミングを逃したことに気がついた。そして、「私もだよ、お母さん」すぐそう言えば良かったと後悔した。

結婚式当日、母はいつも通りの母だった。対する私は、言いそびれた言葉をいつ言うべきかを考えていて、少しよそよそしかった。

式は順調に進み、ボロボロ泣いている父の横にいる、母のスピーチとなった。母は何かを準備していたらしく、司会者の人にマイクを通さず何かを喋り、マイクを通して「お願いします」と言った。

すると母は喋っていないのに、会場のスピーカーから誰かの声が聞こえた。「もしもし、お母さん。看護婦さんがテレホンカードでしてくれたの。お母さんに会いたい。お母さんどこ?澪を迎えに来て。澪ね、今日お母さんが来ると思って折り紙をね…」そこで声はピーっという音に遮られた。「以上の録音を消去する場合は9を…」

と式場に響く中、私の頭の中に昔の記憶が流水のごとくなだれ込んできた。車にはねられ、軽く頭を縫った小学校2年生の私。病院に数週間入院することになり、母に会えなくて、夜も怖くて泣いていた私。看護婦さんに駄々をこねて、病院内の公衆電話から自宅に電話してもらった私。この電話の後、面会時間ギリギリ頃に母が息を切らして会いに来てくれた。

シーンと静まりかえる式場で、母は私が結婚報告したのを聞いた時と同じ表情で、まっすぐ前を見つめながら話し始めた。

「私が夫と結婚を決めたとき、互いの両親から大反対されました。すでに夫には2歳の娘がいたからです」「それでも私たちは結婚をしました」「娘が7歳になり、私はこのままこの子の母としてやっていける、そう確信し自信をつけた時、油断が生まれてしまいました。私の不注意で娘は事故にあい、入院することになってしまったのです」

あの事故は、母と一緒にいるときに私が勝手に道路に飛び出しただけで、決して母のせいではなかった。「私は自分を責めました」「そしてこんな母親失格の私が娘のそぼにいてはいけないと思うようになり、娘の病院に段々足を運ばなくなっていったのです。

今思えば、逆の行動をとるべきですよね」そこで母は少し笑い、目を下におとして続けた。「そんなとき、パートから帰った私を待っていたのは、娘からのこの留守番電話のメッセージでした」「私は『もしもし、お母さん』このフレーズを何度もリピートして聞きました。

その言葉は、母親として側にいても良い、娘がそう言ってくれているような気がしたのです」初めて見る母の泣き顔は、ぼやけてはっきりと見えなかった。

「ありがとう、濡」隣にいる父は、少しぽかんとしながらも、泣きながら母を見ていた。きっと、母がそんなことを考えているなんて知らなかったのだろう。私も知らなかった。

司会者が私にマイクを回した。事故は母が悪いわけじゃないことなど、言いたいことはたくさんあったけれど、泣き声で苦しい私は、言いそびれた一番大事な言葉だけを伝えた。「私もだよ、お母さん。ありがとう」

【ある父親からのコメント】
この記事を今は異国の地で暮らす息子に「お父さんも思ってることで、 君も思うことかもしれない」というメッセージをつけて送ってあげました。
その返事は「僕もあなたがお父さんでよかったと思っています。お父さん、ありがとうと言いたいです。血縁がつながっていないという事実は変わりませんが、それでも、お父さんはお父さんです。
家族になるのに、血がつながっている必要が必ずしもないと思っているので、自分も、これから血縁がつながっていない子と家族になれると信じています。これからも、お父さんでいてください。」という返事が返ってきました。 彼は私の誇りです。

2012年5月 9日 (水)

マイ・フェア・レディーへの航海、後悔?どうかい?

120509_125702120509_12570130年前くらいに買ったマイ・フェア・レディーの楽譜(左)はなじみのある曲、6曲しか入ってなかった。

今回全曲入ったボーカル・スコア(右)をアメリカの中古楽譜屋から取り寄せた。(ヤマハあたりに行ったら売ってるのかもしれないが)

というのも室内バンドで前回サウンド・オブ・ミュージックを取り上げたので次回はマイ・フェア・レディーをやってみようという無茶な思いつきからだ。

このミュージカルでずっと気になっていることはヒギンズ教授役であるレックス・ハリソンの歌い方が語り風なため本来どいう旋律なのか分からない曲が多いということだ。

舞台も映画もヒギンズ役は彼がやったので他の役者が歌ったのを聴くことができない。聴けたとしてもレックスがヒギンズの歌い方を定着させてしまったので語り風に歌ってると推測される。

そこで、本来のメロディーをストリングスでちゃんと演奏してみたいのだ。

次回の室内バンド・ライブ(8月31日)までに果たしてどこまで出来るか、また私の孤独な航海がはじまったが後悔しないように・・・・と日記には書いておこう。

クラッシュジーンズ?

長年はいてきたジーパンが破けた。

若者がこんなのをはいてるのをよく見かけるので真似して犬の散歩に行ったら破けたところからスースー風が入ってきて膝が冷えた。

それに私がこの格好してもただみすぼらしいだけだった・・・・と日記には書いておこう。120502_081501

お犬様達の近況

久々のナイスショット!(しつけの良い家なら当たり前だが我が家の場合は非常に珍しい光景なのだ)

以前にもアップしましたがこのような場合、ワタクシは花子のわきで「幸せなら手をたたこう」を歌うわけです。120413_101303

毛が伸び放題で目がどこにあるかわからないサブピーですが、草を食っております。これは私がキャベツの千切り(私の大好物)を食うのと同じであります。

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