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2012年5月13日 (日)

母の日に

私の母は関東大震災(大正12年)の数日前に生まれ、震災で父親と生き別れなり、その後母が物心ついた時に新しいお父さんが来てかなり困惑したらしい。したがって私の知ってる母方のお爺さんと私は血が繋がっていない。

今更だが、その生き別れた私のお爺さんにあたる人はどんな人だったのか知りたい今日この頃であります。

最近、内縁の夫が血の繋がりのない妻の子供を虐待とか殺害などというニュースをよく耳にする。そんな話を聞くたび、心が痛むのだがメルマガ「100人の1歩」より救われる話題を見つけたので日記に書いておこう。

以下、「残っていた留守番メッセージ」全文

私が結婚を母に報告した時、ありったけの祝福の言葉を言い終わった母は、私の手を握りまっすぐ目をみつめてこう言った。「私にとって、濡は本当の娘だからね」ドキリとした。

母と私の血がつながっていないことは、父が再婚してからの18年間、互いに触れていなかった。再婚当時幼かった私にとって「母」の記憶は「今の母」だけで、『義理』という意識は私にはなかった。けれど、やはり戸籍上私は「養子」で、母にとって私は父と前妻の子なので、母が私のことをどう考えているのか、わからなかった。

気になってはいてもそのことを口に出した途端、互いがそれを意識してちぐはぐな関係になってしまいそうで、聞き出す勇気は私にはなかった。

だから、母の突然でまっすぐな言葉に私は驚き、すぐに何かをいう事ができなかったのだ。母は私の返事を待たずに「今日の晩御飯、張り切らなくちゃだめね」と言い台所に向かった。

私はその後姿を見て、自分がタイミングを逃したことに気がついた。そして、「私もだよ、お母さん」すぐそう言えば良かったと後悔した。

結婚式当日、母はいつも通りの母だった。対する私は、言いそびれた言葉をいつ言うべきかを考えていて、少しよそよそしかった。

式は順調に進み、ボロボロ泣いている父の横にいる、母のスピーチとなった。母は何かを準備していたらしく、司会者の人にマイクを通さず何かを喋り、マイクを通して「お願いします」と言った。

すると母は喋っていないのに、会場のスピーカーから誰かの声が聞こえた。「もしもし、お母さん。看護婦さんがテレホンカードでしてくれたの。お母さんに会いたい。お母さんどこ?澪を迎えに来て。澪ね、今日お母さんが来ると思って折り紙をね…」そこで声はピーっという音に遮られた。「以上の録音を消去する場合は9を…」

と式場に響く中、私の頭の中に昔の記憶が流水のごとくなだれ込んできた。車にはねられ、軽く頭を縫った小学校2年生の私。病院に数週間入院することになり、母に会えなくて、夜も怖くて泣いていた私。看護婦さんに駄々をこねて、病院内の公衆電話から自宅に電話してもらった私。この電話の後、面会時間ギリギリ頃に母が息を切らして会いに来てくれた。

シーンと静まりかえる式場で、母は私が結婚報告したのを聞いた時と同じ表情で、まっすぐ前を見つめながら話し始めた。

「私が夫と結婚を決めたとき、互いの両親から大反対されました。すでに夫には2歳の娘がいたからです」「それでも私たちは結婚をしました」「娘が7歳になり、私はこのままこの子の母としてやっていける、そう確信し自信をつけた時、油断が生まれてしまいました。私の不注意で娘は事故にあい、入院することになってしまったのです」

あの事故は、母と一緒にいるときに私が勝手に道路に飛び出しただけで、決して母のせいではなかった。「私は自分を責めました」「そしてこんな母親失格の私が娘のそぼにいてはいけないと思うようになり、娘の病院に段々足を運ばなくなっていったのです。

今思えば、逆の行動をとるべきですよね」そこで母は少し笑い、目を下におとして続けた。「そんなとき、パートから帰った私を待っていたのは、娘からのこの留守番電話のメッセージでした」「私は『もしもし、お母さん』このフレーズを何度もリピートして聞きました。

その言葉は、母親として側にいても良い、娘がそう言ってくれているような気がしたのです」初めて見る母の泣き顔は、ぼやけてはっきりと見えなかった。

「ありがとう、濡」隣にいる父は、少しぽかんとしながらも、泣きながら母を見ていた。きっと、母がそんなことを考えているなんて知らなかったのだろう。私も知らなかった。

司会者が私にマイクを回した。事故は母が悪いわけじゃないことなど、言いたいことはたくさんあったけれど、泣き声で苦しい私は、言いそびれた一番大事な言葉だけを伝えた。「私もだよ、お母さん。ありがとう」

【ある父親からのコメント】
この記事を今は異国の地で暮らす息子に「お父さんも思ってることで、 君も思うことかもしれない」というメッセージをつけて送ってあげました。
その返事は「僕もあなたがお父さんでよかったと思っています。お父さん、ありがとうと言いたいです。血縁がつながっていないという事実は変わりませんが、それでも、お父さんはお父さんです。
家族になるのに、血がつながっている必要が必ずしもないと思っているので、自分も、これから血縁がつながっていない子と家族になれると信じています。これからも、お父さんでいてください。」という返事が返ってきました。 彼は私の誇りです。

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素敵なお話しをありがとうございます(*^^*)

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