★・・・と日記には書いておこう

2019年9月20日 (金)

足元を見られる

先日とあるコンサートの終了後、迎えの車を待っていると中年の女性客が近寄ってきて「質問して良いですか」と訊かれた。

「ジャズピアノを弾く方は右のペダルを踏む時、かかとを床につけないで足を浮かせて踏むのですか?」

実はこのことで数年前から右足の股関節が痛く悩んでいるところだった。

私は生まれて間もなく右足が小児麻痺にかかり手術を受けた。その後遺症で右足親指が不自由でかかとを床につけて踏むことは出来ないのである。

長年その状態でピアノを弾いてきたことで股関節が悲鳴を上げたのかもしれない・・・・・という話をお客さんには説明は出来ないので「単なる足癖です」とお茶を濁しておいた。

そんな訳で最近はピアノの椅子を目いっぱい高くして右足をぶらぶらさせて足の負担を軽くしてペダルを踏むようにしている。

この事によって鍵盤の位置が下になるのでタッチの上では困ったことであります。(エロル ガーナーじゃあるまいし)

しかし足元まで見られているとはビックリ・・・・・と日記には書いておこう。

2019年5月29日 (水)

平成の終わりとともに

母も95歳の生涯を閉じた。

3月27日に兄から電話があり入院中の母の様態が良くないとのこと。(誤嚥性肺炎を起こし入院中だった)

翌28日昼の予定をキャンセルしてもらって私の家族全員で立川の病院へ会いに行った。

看護師さんの話では午前中は反応も良かったらしいが我々が行ったときはあまりなかった。

この時母の手を握ったのが最後となったのでした。

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さらに翌29日の深夜1時すぎ(30日)病院からの連絡で脈拍が落ちてきてるとのこと。

タクシーを飛ばして立川へ向かったが着いた頃にはもう脈はなかった。

4月2日兄の自宅にて身内だけで葬式をした。父が亡くなって15年、母も愛する父のもとへ旅立った。

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母は大正12年関東大震災の10日程前の8月20日に東京本所で生まれた。

この時私の祖父と祖母は生き別れになり祖母はまだ生まれたばかりの母を連れて何日もかかって故郷の新潟まで戻ったと聞いている。

どうやら祖父母は駆け落ちして東京に住み、母が生まれたようだ。今回母の戸籍をさかのぼっても祖父の名前は出てこなかった。

その後実家で暮らした母が小学生の頃になって祖母は私の知る祖父と一緒になった。したがって私の血のつながった母方の祖父は知らないのだ。

近頃、自分の(血のつながった)子を殺す親や逆に親を殺す子のニュースを良く目にするが「血のつながり」とは一体何なんでしょうか。

私は男三人兄弟の末っ子ですが二番目の兄は私が生まれて間もなく胆管がんで(5歳で)亡くなりました。

そして私も右足がワクチンがまだ出来てなかった小児麻痺(ポリオ)にかかり手術を受けました。

手術の甲斐あって普通の小学校に入ることが出来、入学式の日に泣いて喜んでくれた母の顔は今も忘れられない。

母にとって自分の生んだ子が立て続けに小児がんや小児麻痺になったら気が狂いそうになっただろうに気丈に兄と私を育ててくれことに感謝してもしきれない思いだ。

昔から母は「私たちは先にいなくなるけど残った二人の兄弟だけは仲良くしてね。ただそれだけが願いだ」と言ってた。そんな親の気持ちをひしひしと感じる今日この頃です・・・・・・・と日記には書いておこう。

2018年11月 4日 (日)

多かれ少なかれ

歳と共に誰だって物忘れは増えるものだ。

昨日の記憶が薄れてきた家内、場所の記憶も薄れている母、日本語の単語が出てこない私。Img_01931

毎度おなじみ我が家で咲いた花を母の部屋に飾った。

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母のバッグの中からしわくちゃになった看護学校の卒業証書が出てきた。(昭和16年は太平洋戦争が始まった年)

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母の生まれた大正12年の8月20日から12日後の9月1日関東大震災は起こった!そして母の両親は生き別れになり私の祖父は行方不明に。

大正、昭和、平成と生きた母は現在95歳、来年96歳の誕生日は新元号で迎える・・・と日記には書いておこう。

2018年4月30日 (月)

誕生日といえば

この日に生んでくれた母に感謝を伝えに行くのが恒例。

母も94歳、14年前に父が亡くなったときには「私もすぐお父さんのところに行くわ」と言ってたわりには大病もせず元気。

小さなバースデー・ケーキを買って母のもとへ。もちろんケーキは私のためではなく母への感謝のしるし。母、家内、私、3人で美味しく頂いた。

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今日も家内が摘んでくれた我が家で咲いた白いバラたちを部屋に飾った。

殺風景な母の部屋に花を飾ると母もとても癒されてるようだ。

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あと何度こうやって母と誕生日を祝えるか分からないが私も死ぬまで生きよう・・・・と日記には書いておこう。

2018年2月 8日 (木)

あれから40年

大好きな綾小路きみまろさんのフレーズだが今年の7月29日で私たちも入籍40年。

結婚25年が銀婚式だったので今回40年目を調べたらルビー婚だった。

ルビーなんて買うお金もないのでルビーという美しいスタンダード曲をレパートリーに入れようとコードチェンジを検討中だ。

40年間家内と出かけるときはいつも腕を組んで歩いてきたが最近気がつくと手をつないで歩いてることが多くなった。

もうちょっとすると気がついたらおんぶしてたりして(笑)・・・・・・と日記には書いておこう。

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2018年2月 7日 (水)

自虐日記

Hand1_2ジャズらしき事を始めた20代の頃、先輩に「お前、リズムさえ良ければ・・・」と言われた。

先日、ボーカル生徒用のピアノ伴奏を録音中にメトロノームのクリックが遅くなったり速くなったりする現象が起きた。

もちろん私の感覚がおかしい訳だが気が狂いそうだった。

更に翌日のライブではドラマーが分かりやすく4拍子の2拍4拍をハイハットで踏んでくれてるにも拘らずその2拍4拍がどうやっても1拍3拍に聞こえてきて立ち直れなくなってしまった。

生徒にはメトロノームを2拍4拍に感じて4拍子を作れなどと言ってきた私だが絶望的だ。

オンビートの日本人の血が騒ぎ出したのかもしれない。

またブルースと循環に始まりブルースと循環で終わるのがジャズみたいな事を昔聞いたことがあるが恥ずかしながらブルースと循環は大の苦手だ。

今更だがアフタービートもダメ、ブルースも循環もダメならジャズは諦めるしかないな(涙)・・・・と日記には書いておこう。

2018年1月30日 (火)

この地に住んで20年。

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写真中央に見える青い一軒家の2軒手前にあった家に越してきたのが平成10年だが現在は駐車場になってる。

 

1月22日に降った雪で都会のど真ん中に広大な雪原ができた。 かつて、ここにはロッテの本社、工場があった。

 

工場は高い塀に囲まれていて工場の上には電車からでも見えるほどの大きな看板があった。

 

うちを訪ねる人へ「ロッテの看板のチューインガムの『チュ』の下が我が家です」と説明すると皆迷わずたどり着いたのでした。

 

昭和30年代にロッテ製品のシールを集めて抽選に応募したとき、宛先が百人町だったのを覚えている。

 

この工場跡地にロッテが何を作ろうとしているのかは不明だが場合によっては環境が大きく変化する可能性があるので不安だ・・・・・・と日記には書いておこう。

2017年12月21日 (木)

今日は父の命日

2003年12月21日の朝、父は81歳で旅立った。あれから14年。悲しんでいた母も94歳になり、先日も会いにいったら「お父さんはちょっと出かけていて外で酒でも飲んでるみたい」なんて言ってた。

また母の頭の中には今の私と子供の頃の私の違う人間がいるようで話しているとある意味面白い。ゲラゲラ笑って聞くしかない。

今日は父に捧げた曲「最後の水墨画」で父を思うことにしよう。

写真は先日(12/11)母に会いに行ったときのスナップ。

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2017年9月 3日 (日)

長い長い一日

9月2日(土)駅前発11:36のバスで10分ほどの家内の入院する病院へ。

土曜日なので病院の受付は電気が消え静まり返っている。

朝から何も食べてなかったので病院内にあるコンビニで野菜サラダとおにぎり、ほうじ茶を買って病室へ。

体を動かすわけでもない入院患者にとって朝8時の朝食から昼12時の昼食は時間が短いので「たった今朝食べ終わったところなのにもう昼食?」という声が聞こえてくる。

家内の昼食と一緒に私もコンビニで買った朝飯を食べる。

薬の副作用で味覚が狂ってるらしく味が薄いと言ったかと思えば翌日には味が濃いとか風味がないとかいう愚痴を聞くのも家族の務め。

ベッドが8階窓側なので日頃見ることのない病院からの景色の話題が毎日一度は出るのだ。(笑)

午後3時半頃のバスで新宿へ移動、中央線で立川の母のところに2週間遅れの誕生日祝いに。

今日はうちから花を持って行けなかったので途中でちょっとチープな花束を買って行った。

ピンクのバラをきれいなチューリップだと何度も言ってる。

そして父の遺影を見て私の兄貴だというので「お父ちゃんだよ」と言うと「あーそうだね今思い出した」だって。(ちなみに写真左側の目覚まし時計は止まってます)

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母のホームでは食事に生ものが出ないので会いに行くときは刺身を買って持って行くことにしてる。

新潟で食べてた美味しい枝豆の味なんて覚えてないらしく一緒に買っていった枝豆も美味しそうに食べてる。

そうこうしてるうちに夕食のお迎えにヘルパーさんがやって来た。

ホームでは「ミツエさん」と呼ばれてる。食堂に行くのに「ミツエさん、髪をブラシでとかしてください」なんて気の利いたことを言ってくれるヘルパーさんは男性なのである。

ブラシを持つ94歳の母の手はまるで骸骨のように痩せてしまった。↓

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しかし家内の病院に行っても、ここのホームにしても看護師やヘルパーさんの接し方がまるで幼稚園児をあやすみたいで淋しい気がしないでもない。

人間は歳を取ったら赤ん坊に帰っていくんだなぁ~と実感してる今日この頃。

食堂に行く母を見送り、帰りには吉祥寺で途中下車、駅前の「おおむら」へ。

何と、満席なので店の脇の入り口で店内を覗いてると中から女店員さんがドアを開けて「すぐ空きますから注文を」とのことで今回はタンメンを注文。

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長い長い一日であった・・・・・・と日記には書いておこう。

2017年8月21日 (月)

世にも優しく美しくハッピーな音楽会 第4弾 終了

8/17(木) KSS合奏団:ヨウ パクリン小林(Arr & Piano) / 宮野裕司(Alto Sax) / 小塚泰(Violin) / 佐藤ハチ恭彦(Bass & Alto Sax) の4人組に今回は特別に小林桂(Vocal)が参加して「世にも優しく美しくハッピーな音楽会」第4弾を行った。

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演奏曲は

【1st set】

1. Tangerine 

2. I’ve Got You Under My Skin  

3. Bluesett 

[小林桂が加わり] 4. Just You, Just Me  5. Come Rain Or Come Shine

[2altoで] 6. 酒薔薇&初めての街で(この2曲が絡み合う)

[再び4人で] 7. Take The Long “A”Train (昔から「A列車で行こう」の6小節目最後の音が気になっていたので伸ばしてLong "A"Train にしてしまった)

 

2nd set】

1. Mr.Lonely (若大将乱入編) 

2. The Surry With The Fringe On Top 

3. いそしぎの子守歌(いそしぎ、に五木の子守歌、ロンリーワンが絡み合う)

[小林桂が加わり] 4. Lullaby Of Birdland   5. A Fogy Day

[2altoで] 6. I Can’t Get Started 

[再び4人で]  7. メタボリック賛歌(リパブリック賛歌よりパクった作品)

[アンコール] 8.The Prayer Song (パクリン作・祈りの歌)

今回お盆休み明けという事もあってか、お客様の参加がやや少なかったのですが逆にこのスペースではゆったり聴いて頂けたかと思うのであります。

ここのところ家内の病院通いに付き添って、なかなか譜面の用意をする時間が取れなかった。

小林桂の歌う曲も折角だからこの編成用に準備するのに前の晩は午前2時くらいまで、朝は6時から起きてやっとできたのでした。

全曲の譜面がそろったときの達成感を久しぶりに味わった・・・・・・と日記には書いておこう。

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